この素晴らしい「寄り道」に祝福を

はじめに

消えた「ハマちゃん」

2009年の第20回をもってして完結となったTV版「釣りバカ日誌」の主人公であるハマちゃんは、同調圧力の強いと言われるこの日本社会のど真ん中で毎朝少し遅めの出勤を堂々とキメ、仕事もそこそこに自分のデスクで趣味の釣り道具をメンテナンスする男である。

Huluより

劇中で直属の上司である佐々木課長は、ハマちゃんのその自由奔放・無責任な仕事ぶりに頭を悩ませ胃腸薬を服用するシーンが毎度描かれているが、当の本人はつゆ知らず、毎日幸せな様子だ。

筆者は、最近流行りの”Z世代”である。

てっきりハマちゃんという男は「釣りバカ日誌」が放送された時代においてもかなり変わった人格で、そんなハマちゃんを置く会社も作品用の変な会社だと思っていた。

もちろんこの作品はコメディであるので、少々誇張して描かれている部分も多い。

しかし少し上の世代、つまり「釣りバカ日誌開始世代」の話をいくつか聴いていると、今よりテクノロジーが発達していなくて、かつ経済に勢いがまだ残っていた時代、ハマちゃんのような”あまり生産性のない窓際族”が堂々と在職していた例は少なくないようである。

さてここで1つ問いたい。

ハマちゃんは「コスパが悪く生産性がまるで無い」が、果たして組織にとって「無駄」だっただろうか。

これには劇中で「スーさん」こと、ハマちゃんの勤める企業の社長が分かりやすく答えを出している。

『たまに大きな契約を取ってくるんですよ』

そう、ハマちゃんはいい歳になってプライベートも仕事中も趣味のことで頭がいっぱいの「釣りバカ」あるが、その清濁併せ呑む大らかな性格と異常なコミュニケーション能力で”遊ぶように”たまに巨大な契約を取ってくるのである。

スーさんはここに人件費を割くだけのメリットを感じてしぶしぶ雇っているのだ。

「釣りバカ日誌」が完結したちょうど10年後、2019年5月13日にトヨタ自動車の豊田社長は「なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」と述べたのは、読者の皆様にとっても印象的なニュースだっただろう。

「Car Watch」2021年12月6日記事より

テクノロジーの発展と経済の停滞。

これにより日本は、効率と生産性を神のように信仰する「ハマちゃんが生きづらい世の中」に突入したのである。

「マトモを信仰せよ」

あらかじめ述べておくが、筆者は効率と生産性を落とせといっているわけではない。

人工知能に「にんじんと玉ねぎと鶏肉があるんだけど15分以内で作れるおかずない?」と言ったらものの数秒で条件に合ったレシピを提示してくれる世の中である。なんなら、IoTによってそれ以降の調理もかなり時間短縮できるようになった。

人間にとって苦となっていた作業などどんどん機械に任せてしまえばいいのだ。

しかし哀しいかな、これだけ普段の生活を潤わせくれたテクノロジーに対して、人間は一方で恐怖を持っているらしい。

YouTubeやニュースサイトをふと開けば「AIに人間の仕事が奪われるのではないか」というネガティブキャンペーンのようなトピックが大量に流れてくる。

「奪えるわけがないだろう」

これが筆者の考えである。

AIやIoTは莫大なビッグデータの中から人間に指示された内容に当てはまるデータを引っ張り出す装置である。

逆に言えば「指示に当てはまらない・関連性のないものは取り出せない」。

「にんじんと玉ねぎと鶏肉で、15分以内に作れるおかず」のデータは引っ張りだせるし、「それに合う副菜」なんかも過去のデータに基づいて提示できるだろうが、ビッグデータに無い限り、「もしかしたらこれに砕いたポテチかけたら美味しいんじゃない!?」という一見奇抜な発想は、過去にポテチをかけたデータが少なければ少ないほど“それがどれだけ指示した本人にとって最良で最高でマジ卍!なアイデアだろうが”答えてはくれない。

つまり、テクノロジーや効率・生産性を重視した世の中は無駄のないまともな選択」「プレーンでまともに見える人間」を大量発生させやすい。

いつかのネット番組の対談で、経済学者の成田悠輔氏は昨今の若者世代に対して「すごくみんなまとも」「(上の世代の)意見をすごく聞き入れすぎる」とした上で、「ヤバいんじゃないか」と発言している。

「六本木未来会議」プロフィールより

全世界と繋がるSNSを日常的に使っている若者世代は炎上を恐れ、SNS上のビッグデータである”世の中の平均的意見”で己を武装することによって自分を守っている反面、知らず知らずのうちに「愛すべき自然な奇抜さ」のようなものも失っているのではないか。

ピアノ教育がもたらす「良き寄り道」

人間が幸せに生きるには、AI的に見た際の「無駄」がどうも必要不可欠であるように感じる。

人間の歴史を紐解けば、まともで効率的な選択や発想には遠く及ばないような「無駄」からポッと化学反応的に出る副産物が文化を潤し、社会を豊かにしてきた例が後を絶たない。

世の中に変革を与え、潤してきたのは大体脈略の無い突飛な発想に本気で挑んだヤツらである。

「神となったコスパ」の代償として、「ハマちゃん」が消え、五月晴れの元でダラダラする時間が消え、「ペットボトル10個積み上げてたら1日終わりました!」とかいう訳の分からないツイートが一切流れないSNSばかりの世の中が本当に社会的に”豊か”と言えるのだろうか。

極端な言い方をすれば、そこには生産性などという一方通行のベクトルでは測りきれない、”30年後財宝となるゴミ”があるのではないだろうか。

物事はバランスが重要である。

「コスパ」と「まとも」が信仰されるこの世の中こそ、寄り道的な、一見無駄ともとれる自由な発想ができる能力と寛容な心を個々が持つべきではないだろうか。

筆者は、それをこの世で最も伝えやすい形が芸術だと考える。

そしてその中でもピアノは、この国においてある種、最もトラディショナルで広く認知されたお稽古ごとである。

「ピアノ教室」は昨今薄れゆく、自宅と学校以外の子どもにとってのサードプレイスとなり、ある程度のレベルまで来れば、

・どんな表現が美しいのか
・先人はなにを「美しい」としたのか
・どんな弾き方が正しいのか
・喜怒哀楽に収まらない、グラデーションを帯びた人間の感情をいかに表すか

というAIにはまるで処理できない問題に、たとえ無意識だったとしてもぶち当たる。

このような経験をすること、このような感覚をもって大人になることがいかに大切かを我々は後世に伝えていかなければならない。

ピアノ教育がもたらしてくれる効果は、よく言われる、継続力や頭の体操などといった表面的なメリットに収まらない。

これから重要となる「寄り道の感覚」、そして、毎日奮闘するピアノ教育者と学習者の皆さんの「息抜きとしての寄り道」となりえるよう、本サイトにフランス語で遊歩道などの意味のある“PROMENADE”と名付けた。

追記

大通りの喧騒に疲れたら
馬車との競争に嫌気がさしたら

少し脇道にそれてみよう。

頬を撫でて過ぎ去るそよ風に

どこかの窓から薫る焼きたてのバゲットに

たゆたう天女の羽衣の如き薄雲に

そして「仕事帰りの誰かさん」のたどたどしいストリートピアノに

喧噪の中で落とした何かが戻ってきたような
複雑に絡み合った糸が解けたような

そんな気持ちにさせてくれるから
そして私もその一端となれるよう

この素晴らしい「寄り道」に祝福を!

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